20XX年2月某日、佐藤家の場合 第三話:トイレ、食事はどうする?
《都内某区・佐藤宅》
真弥子は、ふとあることを思い出した。
以前、猫を飼っていたときの猫のトイレ用の砂がどこかに仕舞い込んであったはずだと。
納戸の奥底にそれはあった。
未開封なので捨てるのは勿体ないと思い、とっておいたのだった。
水が流れなくなった便器に45リットルのゴミ袋を被せ、猫砂を入れた。
ゴミ袋は弱いので二重にした。
とりあえずこれと、非常用トイレで家族5人の3日分くらいは何とかなるだろう。
地震発生から1時間半くらい経過しただろうか。
再び大きな揺れが襲った。余震だ。
幸い物が落ちるほどでは無かったが、今後本震と同じくらいの余震の可能性もある。
ここは、1981年の新耐震基準を満たしてない古いマンション。
大きな余震で倒壊の可能性もあるのではないかと、また不安がもたげ鼓動が早くなってきた。
(高齢の義母もいることだし、避難所に行った方がいいのだろうか)
真弥子は自問自答した。
しかし、おりからの感染症禍にあり、避難所生活はリスクが高い。
《夫・一郎 地下鉄車内》
「津波が地下トンネル内に押し寄せてくることはないんですかね」
一郎は、一向に進まない行列の後続の人に話し掛けた。「私もそれを心配しています。先程第一波の襲来があったようです」「そうですか。ここから出れない限り、どうしようもないですね」「とにかく、パニックが起きないことを祈るばかりです」
そんな会話の最中にも、騒ぐ人、押して来る人がいる。
すすり泣く声も聞こえる。しかし、列は相変わらず進まない。
《都内某区・佐藤宅》
義母が、お腹が空いた、と言う。言われてみれば、真弥子も空腹だ。時計を見ると午後1時をまわっている。
こんな日に備えて、多少の非常食は備蓄してあるが、家族5人の3日分もない。最低一週間分必要と聞いていたが、災害用非常食は高価だしあまり美味しいものでもない。使うかわからないものに、そんなに投資できないとの思いもあり、本気で揃えてはいなかった。今、それを悔いても仕方ない。あるもので何とかするしかないのだ。
真弥子は冷蔵庫を開けた。(あっ、そうか、停電していたんだった!)
このままだと、冷蔵庫の中の食品が腐ってしまう。まずは、冷蔵室の肉などを使うことにした。
しかし、ガスも水道も止まっているのだった。
ガスは、鍋料理用のカセットガスコンロがあったので、それを使えば良い。特に災害用を意識していたわけではなかったが、これがあって良かった。
水は、ミネラルウォーターの買い置きが1ダースくらいあるので、飲料用と調理用だけなら2〜3日分は何とかなるだろう。豚肉と白菜と冷凍うどん麺で、肉うどんを作る。
まな板や包丁は水が出ないと洗えないので、白菜は手で千切る。
器も洗えないので、ラップを被せて使うことに。
箸は割り箸を使用。日頃はエコじゃないので控えていたが、こんなときは仕方ない。
ラジオが津波の襲来を伝える。
東京湾にも潮位50センチ程度の津波があり、河口流域で浸水被害が発生しているようだ。
ラジオは、地下鉄の車内に多くの乗客が取り残されていると報じた。
夫・一郎からは、その後メールがない。スマホのバッテリーもさらに残り少なくなっている。
心配だ。どうか、無事でいて欲しい。